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コーチングに目覚めた理由はパーキンソン病を患った叔母の死が教えてくれた

前の記事で、コーチになりますって内容を書きました。

今回の記事では、何でコーチングをやろうと思ったのか?についての原体験を書き留めておきます。

パーキンソン病を患った叔母

叔母(左)と母(右)

ぼくの叔母が今月亡くなりました。68歳でした。

パーキンソン病を患っており、発症したのは48歳の時なので20年も闘病してきたことになります。

パーキンソン病は簡潔にいうと、徐々に自分の体が思うように動かせなくなっていく病気。

最後は自分で物を噛むことも飲み込むこともできなくなり、叔母は衰弱していく一方でした。

もともとゴルフやフラメンコ、旅行や着物の着付けなどがアクティブな趣味をたくさん持っていた叔母だったので、自分の体が思うように動かせなくなるというのは人並み以上に悔しかったのではないかと思います。

意識ははっきりとしていても、自分で身体を動かせないまま、思うように意思表示ができるわけでもないまま天井を見上げて1日が終わっていくのを待つ。

そんな叔母の1日はとてつもなく長く、苦痛に満ちていたものだったかもしれません。

それを20年も続けるなんて、ぼくの想像も及ばないくらい壮絶な日々だっただろうと思います。

最期は話すこともできなかったので、どう思っていたのかはわからずじまいですが、叔母の死から学んだことは、良くも悪くも体が変われば人生が変わるということです。

体が衰えていくのを黙って見ている人生でいいのか?

叔母の話は一度置いておいて、巷ではいろんな健康食品が売られています。

その多くが、加齢や生活習慣の乱れなど伴って出てきた症状への対策となるものばかり。それらが効果あるのかどうかは今回の議題ではなく、大事なことは、そうなる前にもっとできることがあったのでは?ということです。

加齢とともに衰退していくからといって、何もしないまま黙って老化を待っていていいのですか?ぼくは嫌です。

痛みが出てから、思うように動かしにくくなってから、その時に慌てて「何をしたらいいですか?」というのではなく、そうなる前から日々ベストを更新していく気持ちで自分の体と向き合い、鍛え、ケアしていくことが大事なのでは?と思うのです。

もちろんそれだけやっていても思わぬ事態で体が動かせなくなる可能性はあります。日頃から鍛えていたから、死ぬまで健康なんて保証はありません。

だけど何らかの症状が出た時に「あー…長年の運動不足のせいかな」とか「食習慣が悪かったかな」とか思い当たる節がいくつもあるより、「まあこれだけいろんなこと意識してやってきてもなるときはなるか!」って思えた方が良い気がする。また「健康のおかげで今まで楽しめたわ!残りはこの病気とうまく付き合っていくか!」と前向きに思える方が豊かな人生な気がするのです。

体が動くうちに自分は何がしたい?

うちの叔母がパーキンソン病を発症していなかったとしても、年と共に体は弱り、いつかは亡くなります。それは紛れも無い事実。

だけどもし発症していなかったら、叔母は弱っていく自分の身体をどう扱っただろうか?と考えると、きっとその時々でやりたいことをやるために大切にしたに違いない。

「もう年だから」と口では言ったとしても心では諦めず、その時々でのやりたい何かに全力を注いだはず。

それくらい好きなことに熱中して生きていた人だったから、そう思うのです。

そして自分には今、思い通り動かすことのできる体があります。

この身体を使ってできることがまだまだあります。

やろうと思ったままやっていないことがたくさんあります。

それらをやらずに、いつ終わるかわからない人生を、昨日と同じような今日を過ごしていいんですか?いいんですか?いいんですか?

この体でやりたいことがある、それがコーチングだった

ぼくの今の身体を使えば、目の前の人に思った通りの言葉をかけることができます。

その言葉次第では、目の前の人が自分の人生を動かすきっかけになるかもしれません。

その人の成長過程と結末を見届けることができます。

その人が作っていく未来を応援することができます。

「自分の言葉で多くの人を元気にすること」を目的とし、読むエナジードリンクになることを目指してこれまで書いてきたぼくのブログ。

今後はこのブログをベースに、もっと濃密に言葉を届けることがしたい。

ぼくの言葉を必要としてくれている人に向けて、自分の人生を変えたいけどモヤモヤしている人に向けて、全力で問いを与えたい。

思い通り動かせる体があるなら、あなたは一度きりのこの人生をどうしたい?

残りの見えない日々で、今日何をしたい?

一人でやれることには限界がある

こういう問いかけに対して多くの人が「もっと自分の可能性を超えていきたい」「やりたいことやりまくる人生にしたい」「現状を変えたい」と思うはずです。思ってほしい。思ってくれ。

ぼくも思います。

ところが人間とは不思議なもので、こんなにも湧き上がった「やるぞ」って思いをすぐに忘れてしまったり、やる気はあっても何をやっていいかわからなかったり、やると決めたことを投げ出したり先延ばしにします

ぼくもついやってしまいます。

自分で決めたことを自分で裏切ることが普通になると自信を無くします。

自信がないと、次の行動を起こすエネルギーも下がっていきます。

だからこそ、自分の目標をコーチという立場で支えてくれる人が必要なのです。

一人でやれることには限界があるのです。

行動の先延ばしは夢の先延ばし。
時間の無駄遣いは命の無駄遣い。

ぼく自分も自分で決めたことを続けられないことがあるので、コーチングを受けてみました。

そして、自分もコーチングをやりたいと思いました。

コーチになるために、コーチングのセミナーを受けにいくことにしました。

叔母が最期に教えてくれたこと

それからもう一つ。

だんだん意思の疎通ができなくなっていく叔母を、ぼくは心の奥底では諦めていました。

話しかけても反応がない。

YesかNoかも、何を思っているのかも聞き取れない。

だから自然とお見舞いにも足が遠のきました。

そこで何をしたらいいかわからなかったから。

コーチングは自分の伝えたいことを伝えるのではなく、相手が求めている未来に対して適切な対話をすることでゴールに向かいます。

なので主導はコーチ自身ではなく相手。

相手が思っていることを感じ取り、求めている言葉を投げかけていくには、相手への深い関心と理解がないとできません。

自分の思い通りにならないからといって諦めないで、本気で向き合い続ける覚悟が必要です。

ぼくは叔母にそれができなかった。

目の前で横たわっている叔母を目では認識しながら、相手が望むことを考えてもそれが正しいのかもわからず、自分に何ができるのかもわからず何もしませんでした。

それをぼくはとても後悔しています。

伝えたいことを伝えられなくなってからでは遅い。

叔母にできなかった、目の前の人が望んでいることと最後まで向き合うことを、これから出会い関わる人全てにやっていきたい。

目も閉じなくなった叔母が最期に気づかせてくれた自分自身のやりたいことを、今後の人生で全力でやっていく。

ぼくはその人が持つ可能性を最大限に引き出し、その成長と成果を見届けたい。

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